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ー 5年前から鳥取を拠点に、大学講師としても活動する木野彩子。Dance New Airでは、2018年にレクチャーとダンスパフォーマンスを融合した「レクチャーパフォーマンス」の形で『ダンスハ體育ナリ?』を発表してきた。義務教育の中で、ダンスが体育のカリキュラムに組み込まれてきた経緯から、社会の中のダンス、そして身体を捉え直す作品だ。
第三弾となる今回は「未来の身体」を見つめる。身体=シンタイ=進退。身体を通して、未来へどう向かうのか、木野の投げかけが放たれる。
会場は「みなと科学館」のプラネタリウム。「ダンスが舞台芸術としてだけでなく、もっと、街の中、普段の生活の中に浸透していくといいのではないか」という思いから、劇場を飛び出した。場所に惹かれて来ちゃった、というきっかけで来ていただくのもいい、と木野は言う。
そこには、ダンスは本来、鑑賞するだけのものではない、誰もが自由にのびのびと、表現するものだったのでは、という木野の思いがある。
「学校で体験するダンスは、集団で行う、型の決められた、どちらかというとスポーツ寄りの感性です。型がある表現を否定はしませんが、いろんな表現の仕方があっていいし、いろんなダンスがあっていい。いろんなタイプの人がいればいるほど、多分、豊かで面白い」
ー だからこそ、現代のデジタル社会の中で、身体表現が自由になるどころか、人々がますます自身の身体に疎くなり、身体の動かし方や欲求に気づけなくなる傾向には危機感を抱く。英仏での生活を経て、12年前に日本に戻って以来、その変化を強く感じている。さらにコロナ禍では直接会えず、画面越し。「身体から発する、ニュアンスや小さな表現を相互に交換することが豊か」なのに、それが遮断されてしまう。身体が発するもの。これは、公演を通じて投げかけたいことの大きな柱の一つだ。
「最近、私の中で、生きるということと、踊るということが近くにあります。以前は、身体表現として見え方を気にしていたけれど、問題は、手の角度とか、そういうことではなかった。結局、その人の生き方や今までの経験が滲み出るのだということがわかってきました。生きることがそのまま舞台上に上がっていく行為だ、と」
ー 続けて「本質的には、すべての人が、生きるように、実は踊っているのではないだろうか」と話す木野の言葉は、私たちを「こっちへおいでよ」と誘い出すような力強さがある。
「生きるの”いき”は、呼吸の”息(いき)”でもありますよね。吸って吐いて、それが、踊りも含めた全ての動きの始まり。そこまで戻していけると、おそらくダンスというものが、多くの人にとって、もっと普遍的な価値を持っていくのではないかと思っています」
2021年8月4日 取材
写真:室岡小百合
インタビュー・文:森 祐子
場所:nadoya yoyogiuehara