Century of Film and Dance◎「映像とダンスの世紀」
9.20 sat – 10.3 fri 各日21:00start
シアター・イメージフォーラム
〒150-0002 東京都渋谷区渋谷2-10-2 TEL.03-5766-0114
映像の原点にはダンスがある。人や動物の動きの研究のために撮影された連続写真がのちに映画の誕生のヒントとなった。映画というメディアの発展とともに、ダンスの様々な表現が生まれ、それもまた記録されてきた。映画というメディアがダンスの発展に及ぼした影響は大きい。また身体を記録しようとしたことで映像自身も発展していったのだった。本プログラムは「映像とダンスの世紀」としてその歴史の一部を顧みる。パリのダンス映像アーカイブ、シネマテーク・ドゥ・ラ・ダンス提供の歴史的に貴重な映像作品もプログラムに加え、ヤン・ファーブルの歴史的パフォーマンスを映像のために再クリエーションした作品『ファーブル博士があなたを癒します』や、フィリップ・グランドリュー監督/エレーヌ・ロシュトー出演の『ホワイト・エピレプシー』など刺激的な作品が登場する。
『ロイ・フラーの幻想的ダンスがつむぐフェリ』 1934年/29分
監督:ジョージ・R・バスビー修復:ルネ・リヒティヒ+シネマテ−ク・フランセーズ 修復協力:オルセー美術館
ロイ・フラーは、20世紀初頭の目まぐるしく変容するダンスによって広く知られている。彼女はアール・ヌーヴォー運動を真に具現化する存在であり、特に彼女の「動くヴェール」は有名である。アメリカのイリノイ州生まれの彼女は、ダンスの世界に入る前は女優をしていた。「蛇のダンス」(1891)が彼女の最初の成功した振付作品で、彼女はこの作品で動くヴェールにカラー・ライティングをほどこしてみせた。1892年にフラーはフォリー・ベルジェールと契約し、その1年後に自らの舞台装置のパテントを登録する。イギリスとアメリカをツアーした後1897パリに戻り、フォリー・ベルジェールにて「火のダンス」と「ユリのダンス」を上演。1900年のパリ万博では、建築家アンリ・ソバージュが彼女のためのパヴィリオンを建設し、フラーの名前は不動のものとなった。フラーは自身の団員だったイサドラ・ダンカンが名を成すのに手を貸し、1908年には「ロイ・フラーのファンタジック・バレエ」という名のダンス学校を設立した。第一次世界大戦後は映画の世界に参入したが、彼女の死の6年後、1934年、そのパートナーであるガブ・ソレールよって映画作品『ロイ・フラーの幻想的ダンスがつむぐフェリ』が撮影された。
プログラム提供:シネマテ−ク・デュ・ラ・ダンス

『トリアディック・バレエ』 1970年/32分
オスカー・シュレンマー振付による3部作再構成:ハンネス・ヴィンクラー 振付:マーガレット・ヘイスティング、フランツ・シェームス、ゲオルグ・フェルデン、衣裳再現:マルギット・バルディー 音楽:エーリッヒ・フェアシュトル ダンサー:エーディト・デムハーター、ラルフ・シュモリク、ハンネス・ヴィンクラー
この「全体芸術」の中心で、舞台上の人物は「ハプニング」となり、ダンスと衣裳とともに3つのハーモニーを生みだし、身体、精神、心の三位一体化を象徴化する。画家、彫刻家、振付家、音楽家、ダンサー、作曲家と多彩な才能を持つオスカー・シュレンマーは、1921年に造形の教授としてバウハウスに合流した。彼の驚くべき横断的精神は、芸術分野の間に存在する壁の解体に貢献した。「トリアディック・バレエにおいては、オスカー・シュレンマーが衣裳を物語として創造したところに強みがある」とローレンス・ルップは指摘している。衣裳は、それが纏うところの身体の動きの範囲をコントロールする。あらかじめ決められた身動きのパターンの総数が設定されてしまう為、衣裳そのものが振付であるということも出来るであろう。
プログラム提供:シネマテ−ク・デュ・ラ・ダンス